2013年9月8日日曜日

【2013年9月7日/旧四ッ木橋付近 悼む人々】

日本語/English/esperanto


関東大震災90周年 韓国・朝鮮人犠牲者追悼式ご挨拶

1923年9月、旧四ッ木橋あたりで犠牲となった方々へ。
今日、私たちは皆様方を追悼するため、ここに集まりました。河川敷で追悼式を始めて、32回目となります。

四ッ木橋あたりでは、9月1日から「津波が来る」「朝鮮人が襲ってくる」「朝鮮人が井戸に毒を入れる」などのデマが流れ、民衆による虐殺が始まりました。2日か3日には軍隊が来て、民衆は「万歳、万歳」で迎えました。軍隊は機関銃で撃ち、さらに民衆の虐殺はひどくなったと聞きました。

1982年には「まだ遺体が埋まったままではないか」というお年寄りの証言をもとに試掘を行いましたが、遺体は発見できませんでした。のちに新聞資料で震災後の11月半ば、憲兵と警察官があたりを封鎖して、2日にわたり遺体をどこかに運び去ったことがわかりました。

以後の犠牲者の行方は、わからないまま90周年をむかえています。

(中略)

今年、政府は文部科学省令を変えてまで、朝鮮学校に通う生徒たちを学費無償化から排除しました。東京都教育委員会は、高校日本史副読本の朝鮮人虐殺の記述を、「朝鮮人が尊い命を奪われた」と碑に書いてあると、他人事のように変更しました。大久保や大阪・鶴橋などで、ヘイトスピーチが跋扈しているのはご承知のとおりです。

私たちは、追悼碑解説文の最後を「この犠牲者を悼み、歴史を省み、民族の違いで排斥する心を戒めたい。多民族が共に幸せに生きていける日本社会の創造を願う、民間の多くの人々によってこの碑は建立された」と結びました。

今日、3回目のほうせんかの夕べが、この地から日本で共に生きていく意思の発信となり、犠牲者追悼になることを願って主催者の挨拶といたします。

2013年9月7日 
一般社団法人ほうせんか
関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会

(「『関東大震災90周年/韓国・朝鮮人犠牲者追悼式とほうせんかの夕べ』リーフレットから)



「関東大震災90周年/韓国・朝鮮人犠牲者追悼式とほうせんかの夕べ」は午後3時に始まった。参加者は約400人。会場は、荒川河川敷。90年前には存在しなかった木根川橋の下だが、かつて四ッ木橋のあった場所より少し下流の方と言うのがふさわしいだろう。90年前、多くの朝鮮人が虐殺されたその場所である。


李政美

朴保




2009年に建てられた追悼碑は、地域の人の協力も得て、きれいに守られている。


「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」(google map)



李政美「京成線」(you tube)

重くよどんだ 川の水に
4両の短い影 映しながら
今日も走るよ 京成線

低い鉄橋の その下には
埋もれたままの 悲しみ眠る
エヘイヨ エヘイヨ

(中略)

顔も知らない ハルモニ、ハラボジ
いくつものアリラン峠越えて
辿り着いたこの町

京成線に乗って帰ろう
この町もまた ふるさと


September 7, 2013
Memorial Ceremony near Yotsugibashi Bridge
A ceremony has been annually held in September since 1982 at the scene of massacre on Arakawa River bank, and 400 people attended this year to commemorate Korean victims. Near the site stands a monument for the victims, which reads: "This was built by people seeking a society where various ethnic groups can live happy lives. We commemorate the victims, reflect on the history and warn against racism and racial discrimination."


En la 7-a de septembro 2013, proksime de la ponto Yotsugibashi, Funebraj homoj

Ĉe masakrejo de multaj koreoj antaŭ 90 jaroj, estis la ponto Yotsugibashi. Tie 400 homoj kolektiĝis kaj havis funebran kunvenon.Oni havas la kunvenon ĉiujare, kaj ĉi-jare la kuveno estis la 32-a fojo. En 2009, oni konstruis la monumenton. Sur la monumento troviĝas “Ni funebras viktimojn, revidi historion, admoni nin pri ekskludo pro alinacieco. La monumento estas konstruata de multaj civitanoj kiuj volas konstrui japanan socion en kiu multaj nacioj kune kaj feliĉe vivas.”