2013年9月2日月曜日

【1923年9月2日昼/神楽坂下 警察署前の凶行】

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ともかく、神楽坂警察署の前あたりは、ただごととは思えない人だかりであった。自動車も一時動かなくなってしまったので、わたくしは車から下りて、その人だかりの方に近よって行った。群集の肩ごしにのぞきこむと、人だかりの中心に二人の人間がいて、腕をつかまれてもみくしゃにされながら、警察の方へ押しこくられているのだ。(中略)

突然、トビ口を持った男が、トビ口を高く振りあげるや否や、力まかせに、つかまった二人のうち、一歩おくれていた方の男の頭めがけて振りおろしかけた。わたくしは、あっと呼吸をのんだ。ゴツンとにぶい音がして、なぐられた男は、よろよろと倒れかかった。ミネ打ちどころか、まともに刃先を頭に振りおろしたのである。ズブリと刃先が突きささったようで、わたくしはその音を聞くと思わず声をあげて、目をつぶってしまった。

ふしぎなことに、その兇悪な犯行に対して、だれもとめようとしないのだ。そして、まともにトビ口を受けたその男を、かつぐようにして、今度は急に足が早くなり、警察の門内に押し入れると、大ぜいの人間がますます狂乱状態になって、ぐったりした男をなぐる、ける、大あばれをしながら警察の玄関の中に投げ入れた。(中略)

人もまばらになった警察の黒い板塀に、大きなはり紙がしてあった。それには、警察署の名で、れいれいと、目下東京市内の混乱につけこんで「不逞鮮人」の一派がいたるところで暴動を起こそうとしている模様だから、市民は厳重に警戒せよ、と書いてあった。トビ口をまともに頭にうけて、殺されたか、重傷を負ったかしたにちがいないあの男は、朝鮮人だったのだな、とはじめてわかった。

(中島健蔵『昭和時代』岩波新書)


文芸評論家の中島健蔵による回想。当時、彼は18歳で、旧制高等学校生徒だった。被害のなかった駒沢の自宅から、親類の安否確認のために車で小石川に向かう途中、この出来事に出会う。神楽坂署は、現在の神楽坂下、牛込橋のたもとにあった。

中島は「トビ口が朝鮮人らしい男の頭に振りおろされた瞬間、わたくしは、あやうく、もどしそうになった」という。突然のショッキングな光景にパニックを起こした中島の一行はあわてて車に戻り、猛烈な勢いでその場を立ち去る。西大久保の親友の家に立ち寄ると、そこはまだ平和そのものの雰囲気で、彼が神楽坂で見た光景を訴えても、友人たちは誰も本気にせず、笑って取り合わなかった。

だがその日の夕方には「『不逞鮮人』さわぎ」は彼の住む駒沢まで波及してくる。半鐘が打ち鳴らされ、「朝鮮人が爆弾を持って襲ってくる!」という大声が響く。村会の指示で自警団が組織され、彼もまた短刀をもって動員された。
「やがて世田谷の方から、一台の軍用トラックがゆっくりと動いてきた。本物の軍隊の出動である。そのトラックを囲むようにして、着剣した兵士が、重々しく走ってくる。これでもう疑う余地がなくなってしまった。今にも銃声が起り、爆音がとどろきそうであった。そのころには、東京中が、恐慌状態になっていたのである」

流言を事実と考えた各地の警察が張り紙やメガホンでそれを拡大し、軍の出動が人々に「朝鮮人暴動」を確信させることになった。

この日から猛烈な勢いで自警団が各地に誕生し(東京府・市だけで1000以上)、街角で道行く人を誰何しては「バビブベボと言ってみろ」「教育勅語を読んでみろ」と詰問し、朝鮮人の疑いがあれば殴ったり殺したり、よくて警察に突き出すのである。

神楽坂警察署があったおおよその位置(google map)

On September 2, 1923, around midday, at Kagurazaka, Tokyo
A high school student, Kenzo Nakajima (later to become a literary critic), felt like throwing up when he witnessed crowd stabbing a Korean with knives in the head in front of a police station with a sign saying, “Warning! Dangerous Koreans”.

1923년 9월 2일.낮.도쿄・카구라자카.
고등학교학생의 나카지마 겐조(中島健蔵 나중에 문예 평론가가 되다)는 경찰서 앞에서 군중이 조선인 남자의 머리에 칼날을 찌르는 순간을 목격해 구역질이 났다. 경찰서에는 “위험한 조선인을 경계하라”라는 게시가 경찰의 이름으로 내걸어 있었다.

Tagmeze de la 2-a de septembro 1923 en Kagurazaka, Tokio. Japana lernanto de gimnazio NAKAZIMA Kenzo (poste iĝis literatura eseisto) rigardis koreon kies kapo estis pikita per tranĉilo fare de japana popolamaso, kaj naŭziĝis. En policejo li rigardis la afiŝon sub la nomo de polico “Gardu kontraŭ danĝera koreo.”