2013年9月8日日曜日

【2013年9月8日/水道橋 悼む人々(中国人労働者を追悼する集い)】

日本語/English


(前略)その中には私の祖父周瑞楷とその実弟である周瑞興、周瑞方、周瑞勲一家4人兄弟が殺害されています。これは全中国、全世界においても希にみる一家4人の惨殺、全滅という残酷な悲劇です。(中略)

1923年冬、日本から村の18人が殺害されたという消息が伝わりました。当時わが村は全体でも30世帯余り、100人余りしかいない小さな村です。村中に悲憤があふれ、泣き声は3ヶ月以上も続き、悲憤はその後十数年にわたって続きました。わが家では4人も殺されたので、祖母は悲憤の余り病気になり、まともな治療も受けられないままにこの世を去りました。享年25歳でした。祖父たちの遺骨さえなかったので、祖母の遺体は今も大坪山に孤独に埋葬されたままです。

(1923年9月3日、大島7丁目で虐殺された中国人労働者の1人、周瑞楷さんの孫、周江法さんの発言。「関東大震災90周年 関東大震災で虐殺された中国人労働者を追悼する集い」資料集より)


当時、中国から日本に働きに来ていたのは、肉体労働者の多くが浙江省温州の人々であった。また、大島では中国人労働者は宿舎に集住していた。そのなかには一族でともに暮らす人々もいた。

「関東大震災で虐殺された中国人労働者を追悼する集い」(主催・関東大震災中国人受難者を追悼する会)には、中国から多くの遺族が参加した。そのなかには、その死が70年代になってようやく確認された中国人活動家・王希天さんの孫も含まれている(王希天については、9月12日に取り上げる予定)。


「王希天事件」の真相を1980年代初に解明したジャーナリストの田原洋さん


中国の同じ地域から来ていること、日本でも同じ地域で宿舎に集住していたことから、大島で殺害された人々については、名前がほぼ分かっている。「追悼する会」では日本政府に事件の真相究明を求め、これを日本社会の集団的記憶として次の世代に伝えていくことを目指している。


温州の事件遺族たちが焼きものでつくった被害者の名簿


死んだ人は再び生き返ることはありません。生きている人は死者に成り代わって声を上げる必要があります。私たちは死んでいったひとに成り代わって、彼らの苦痛と恨み、憤怒を伝えねばなりません。それはこうした歴史の悲劇を二度と再演させないためです! この世界が永遠に野蛮から遠のき、この世界から戦争を遠ざけ、文明と平和を謳歌するためです。(中略)

この世を去って久しい先人たちよ、安らかなれ!

(周江法さんの発言・同上)

September 8, 2013 at Suidobashi
Ceremony to Commemorate the Chinese Victims

A dozen more family members, including the family of Wang Xi Tian whose death was confirmed only in the 70's, attended the ceremony to commemorate the Chinese workers murdered in the aftermath of the Great Kanto Earthquake.
Zhou Jiang Fa, who lost 4 family members in the Ojima Massacre, said, "We must speak pains, resentments and angers for the deceased in order to prevent the tragedy from happening again".

Many of the victims of Ojima have been identified.
The Association to Commemorate the Chinese Victims of the Great Kanto Earthquake declared at the ceremony that it will call on the Japanese government for thorough investigation of the massacre, and will pass down the truth to the next generation as our remembrance.