2013年9月3日火曜日

【1923年9月3日午後4時/永代橋付近 あいまいさに埋められているのは】

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永代橋上東側から南方を望む


1923年9月3日午後4時、永代橋付近で朝鮮人が軍と群衆によって殺害され、その遺体が隅田川を流れていった。その数は「約30名」、あるいは「約32名」。

『関東戒厳司令部詳報』「震災警備ノ為兵器ヲ使用セル事件調査表」
洲崎警察署ヨリ護送援助ヲ請求セラレタル特務曹長島崎儀助ノ命ヲ受ケ巡査五名ト共ニ洲崎ニテ暴行セシ不逞鮮人約三十名ヲ同署ヨリ日比谷警視庁ニ○○為永代橋ニ至リタルニ橋梁焼毀シ不通ノタメ渡船準備中一名ノ鮮人逃亡ヲ始メシヲ動機トシ内十七名、突然隅田川ニ飛込ミシヲ以テ巡査ノ依頼ニ応シ実包十七発ヲ河中ニ向テ射撃ス 河中ニ入ラスシテ逃亡セントセシ者ハ多数ノ避難民及警官ノ為メニ打殺セラレタリ
(『震災・戒厳令・虐殺』から重引)


永代橋は隅田川にかかる橋で、現在の中央区と江東区の境にある。殺害を実行したのは野戦重砲第1連隊第2中隊の島崎特務曹長指揮下の当麻一等兵、飯山二等兵など3人。「事件調査表」本文では朝鮮人の数は「約三十名」となっているが、被兵器使用者の欄では「約三十二名(内十七名氏名不詳)」。人数が異なるうえに「約」という曖昧な冠が乗っている。

これに対して姜徳相(カン・ドクサン 滋賀県立大学名誉教授)は、激しい怒りをぶつけている。「『約三十二名』『三十名』という人間連行はなにを意味するのか。『約』とは『およそ』『ほぼ』という、不確かなことばであるが、この曖昧のなかに二人の人の尊厳が埋められていることに気がつかねばならない。うかびあがるのは鴻毛の軽さともいうべき朝鮮人の命である」(『震災・戒厳令・虐殺』)

逃亡をきっかけとした事件のように見えるが、川に飛び込んだ17人を17発の銃弾で射殺するとはいかにも不自然である、実際には隅田川まで連行して射殺、死体処理の省略のために川に流したのだ、と姜は推測する。

前回の記事でも触れたが、『関東戒厳司令部詳報』は軍の作戦行動の記録をまとめたもの。「事件調査表」はその一部だ。爆弾「らしきもの」を投げ「ようとした」ので射殺したなど、この「事件調査表」にはこの事件と同工異曲の軍による殺害が20件、記録されている。もちろん、それは実際にあったことのごく一部にすぎないことだろう。



参考資料:関東大震災85周年シンポジウム実行委員会編『震災・戒厳令・虐殺』(三一書房)

永代橋の位置(google map)

(次の更新は4日午前2時ごろの予定です)





At 16:00 p.m. on September 3, 1923, more than 30 Koreans were killed by soldiers and a mob near the Eitaibashi Bridge over the Sumida River in southeastern Tokyo, and the bodies were dumped into the river.

1923년 9월 3일 오후 4시, 도쿄 남동부, 스미다강에 걸리는 에이타이바시 다리 부근에서 한국인 30명 이상이 군과 군중에 의해서 살해되었다. 그 사체는 스미다강을 흘러 갔다.